ノーベル化学賞を受賞した「下村脩博士」

厳しい社会情勢の中で薬学を学んだ下村脩博士

下村脩博士は京都府福知山市に生まれた研究者で、オワンクラゲが持つ緑色蛍光タンパク質を発見したことにより、2008年にノーベル賞を受賞するにいたりました。

クラゲ

下村博士は実はこのクラゲの発光体についての研究は自分で「役に立つとは思っていなかった」とあとで言われたそうで、その損得を気にせず自分自身の好奇心と探究心から研究を進めたという姿勢が大きく評価をされることになりました。

しかし研究者としての下村脩博士は最初から生物学をずっと専攻してきたというわけではなく、実は学生時代には薬学を選び大学で学んだという過去を持っています。

ただ16歳のときに諫早市という爆心地よりわずか20kmの距離で原爆に被曝をするなど、激しい時代背景もあってか、大学にかよってはいても十分に学習ができる環境にはなかったのです。

薬学を学んだのは旧制長崎医科大学付属薬学専門部で、1951年に卒業をしてから武田薬品工業で研究職を希望しました。

ですが当時の担当者に採用を断れてしまったことにより、再び長崎に戻り長崎大学薬学部で研究をすることになります。

波瀾万丈の人生と数多い経歴

下村脩博士は長崎医科大学付属薬学専門部を卒業したあとには名古屋大学で再び学び、そののちにフルブライト留学生として米国に渡って大学研究員として過ごします。

その後には美国のウッズホール海洋生物学研究所上席研究員となりその頃から自宅に発光タンパク質研究所を作り専門的に研究を進めていくことになります。

下村脩博士は戦時中まっただ中に幼少期を過ごし、満足に勉強ができない状況に置かれながらもそれでも自分の研究分野を貫いてきたという今ではとても真似できない数多くの経歴を持たれている方です。