大正製薬の創業者「石井絹治郎」

日本を代表する製薬会社の創業者

大正製薬といえば「リポビタンD」や「パブロン」「リアップ」といった日本に住む人なら誰でも知っている大衆薬品を多く取り扱う企業として知られています。

栄養ドリンク

大衆向けの薬品だけでなく、医療機関で使用する医薬品類や、薬品として分類されない生活習慣サポート製品、また美容関連品など数多くの製品を扱っており、私達の生活にとってなくてはならない存在と言えます。

そんな対象薬品の創業者が石井絹治郎で、会社名の通り大正元年に「大正製薬所」という現在の大正製薬のもとになる会社を設立しました。

石井絹治郎は大正製薬の創業者であり初代社長として知られていますが、実は経営者としてだけでなく化学者や薬剤師としても活躍をされてきた方でもあり、中でも薬剤師の地位向上のためにかなりの運動をしてきた人物としても有名です。

書生として過ごしながら薬学を学ぶ

石井絹治郎が生まれたのは1888年の香川県三豊郡(現在の三豊市)で、両親は農業を営んでおり決して暮らしは楽ではなかったといいます。

のちに13歳で上京し書生として住み込みをしながら現在の明治薬科大学の前身であった神田薬学校夜間部へと入学します。

この学校を主席で卒業したあと、薬剤師の国家試験に当時最年少の18歳で合格をし実習期間を経てから「泰山堂薬局」という薬局を開きます。

1912年からは名称を「大正製薬所」と変更をし、企業運営を行いつつも日本薬剤師会に所属をして地位向上のためのロビー活動を行いました。

この石井絹治郎の活動がなければ薬剤師の地位はかなり低いもののままであったことから、今でも日本の薬剤師の歴史を語る上での重要人物として尊敬されています。