資生堂はもともと調剤薬局だった!?
現在は日本を代表する化粧品メーカーとして知られる資生堂ですが、実は創業当初は調剤薬局として銀座に登場したお店でした。
創業者である福原有信は1848年に現在の千葉県である安房国に生まれた人物で、18歳から幕府医学所に通い西洋薬学を学んだという経歴を持っていました。
明治になってからは東京大学病院に勤務をし、のちに海軍病院薬局長となるまで薬学の専門家として活躍をしてきました。
しかし23歳という若さで官職を辞めると、現在の資生堂のもととなるお店を銀座に開業をします。
これは当時としては珍しい洋風調剤薬局で、医薬分業として薬を専門に扱う店を目指したものでした。
「資生堂」の名前の由来について
福原有信が自身の調剤薬局を「資生堂」と名づけたのは「資生」という言葉に「万物が生まれる」という意味があったからです。
この言葉を知っていたのは西洋薬学を深く学び、また漢方医を親に持っていたという子供の時からの薬学の知識の蓄積があったからと言えます。
資生堂は現在に至るまでこの創業者である福原有信の教えを忠実に守っており、「品質本位」「共存共栄」「消費者」「堅実」「徳義尊重」という5つを守るべき主義として掲げています。
この5つの言葉を創りだしたのは初代社長となって福原信三なのですが、当時より続く正確な薬学の知識に基づく製品提供の製品は創業者から伝えられたものと言えます。